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ゲット・アウト

  • 原田崇央
  • 2017年11月4日
  • 読了時間: 2分

「ムーンライト」とか「ドリーム」といった最近の賞レースを賑わせた黒人差別もの映画と表裏一体の作品だった。

極力ネタバレを避けて語りたいが、何を言ってもネタバレになりそうな作品だった。

でも、どうしても語りたい点をいくつか、ネタバレにならない程度に…。

アフリカ系アメリカ人は何かにつけて「自分たちは差別されている」と主張する。政治・経済・社会の場のみならず、芸能の場でも主張する。米国黒人はよく、「白人監督の作品で黒人俳優が冷遇されている」と言う。しかし、米国黒人監督の作った映画やドラマ、MVなんてのは不自然なくらい黒人以外のキャラクターがほとんど出てこない。だが、この作品はきちんとバランスがとれていた。それがまず評価に値する。

そして、人種問題絡みでいうと、米国黒人は一般的には日本人を含むアジア人を見下しているが、本作には名誉白人的な立ち位置で日本人が出てくるのも興味深い。その辺が、米国黒人の一方的な主張のみで作った作品とは

異なる。極端な話、「ムーンライト」や「ドリーム」よりポリティカル・コレクトかもしれない。そして、その日本人が放つ台詞が、黒人の身体的能力を絶賛するという、日本のスポーツ報道でおなじみのやつであるのもリアルさを感じる。黒人がいためつけられる作品にもかかわらず、本作を黒人が支持しているのは、もしかしたら、黒人の優位性をうたっている部分もあるのではないかと思った。

それから、米国のホラーやスリラーってのは、ネット検索とか登場人物の台詞とかで真相が判明し、伏線も何もあったもんじゃないってのが多いが、(本作にもそういう部分はあるにせよ)結構、伏線が生かされていたのには感心した。社会性を含めて、アカデミー脚本賞にノミネートされてもおかしくないと思った。

アカデミー賞絡みでいえば、本作はカップをスプーンでかき回すシーンが印象的だが、その音は音響系の部門(録音賞と音響編集賞)での受賞に値する出来だと思った。

アカデミー賞絡みでもう一つ。歌曲賞を受賞した「ダーティ・ダンシング」からの❝タイム・オヴ・マイ・ライフ❞の使い方が印象的だった。米国では「ダーティ・ダンシング」って、いかにも白人的な映画って思われているのかな?


 
 
 

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