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HELLO WORLD

  • 原田崇央
  • 2019年9月21日
  • 読了時間: 3分

ネット上では、「天気の子」と比較される声も多い「HELLO WORLD」を見た。

・好きな人を救うためには世界が犠牲になっても構わないという姿勢の主人公

・主人公とヒロインは10代

・コアな音楽ファンというより、女子とかリア充男子みたいなのが好きそうな邦楽アーティストを起用。

MVのようなシーンに使いながらも、フルコーラスでは使わない

(あれだけプッシュしているOfficial髭男dismの曲、ほんの一瞬しか流れなかった!)

・配給が東宝

確かに色々と共通点はある。

それから、「天気の子」はパラレル・ワールド的な話ではないが、本作と共通するパラレル・ワールドに巻き込まれ、選択を迫られる10代の話であれば、「あした世界が終わるとしても」や「ニノ国」があった。

中高生の話でもないし、生死の選択の話でもないが「バースデー・ワンダーランド」もパラレルものだった。

また、主人公の身近な人間の生死が絡む話でいえば、「きみと、波にのれたら」なんてのもあった。

つまり、最近、やたらと、テレビアニメ(深夜アニメ含む)の劇場版ではない、劇場オリジナルのアニメ映画の公開本数が多いが、そのほとんどは似たような題材なんだよね…。

そういう、最近のアニメ映画と似たような部分は確かに多い。

でも、この映画が一番意識しているのって、「インセプション」でしょ!

途中、街が改変される描写なんて、ちゃちくなった「インセプション」みたいだし、何よりも、宣伝コピーでうたっている「ラスト1秒でひっくり返る」オチってのは、もろ「インセプション」系だよな…。

それにしても、日本アニメのCGって、出来が悪いな…。日本のアニメオタクには新しいものを受け付けられない古臭い考えのまま凝り固まっているCGアレルギーの連中が多いから、日本のCGアニメは発達しないのだろうが…。そんな中、セルルックという手描き風CGアニメというガラパゴス化した技術も発達し、「あした世界が終わるとしても」のような技術的に優れた作品も生まれたが、本作はセルルックの観点から見てもダメダメな映像だった。

アニオタといえば、本業でない人が声優をやると何でもかんても叩く連中がいるが、個人的にはこうい連中は大嫌いだ。最近も「ヒプノシスマイク」舞台版を声優がやらないと文句をたれている連中がいたが、「矛盾してんだろ、お前らの言っていること!」って思う。映画やテレビ、舞台の俳優がアニメの声優や洋画吹き替えをやるのはダメで、声優が顔出しで演技したり、CDを出したり、コンサートをするのはいいのか?しかも、アニメ声で歌っている声優もたくさんいるよな。それを喜んでいる連中に、アニメに合わない声優演技をする実写俳優を批判する資格はあるのか?って思う。というか、そもそも、声優は舞台俳優の副業みたいなものだったのに…。

でも、そんな自分でも「HELLO WORLD」の予告を見た時は、これは酷すぎるなと思った。ところが、本編を見ると、酷くないんだよね。というか、大健闘している。これは、予告作った人間のセンスがないってことだな。

追記

主人公を巡る恋のライバルになるかと思われたキャラが、結局、からまなったのは納得いかないな…。

というか、話の展開、おかしなところだらけだが。


 
 
 

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