志乃ちゃんは自分の名前が言えない
- 原田崇央
- 2018年7月29日
- 読了時間: 4分
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を見た。 映画マニアを長年やっていると、時々、ジャケ買いならぬポスターとかチラシのビジュアルに一目惚れして(予告などの映像を見たり、雑誌やネットの記事を読む前に)見ることを決めることがあるが、結構、これが当たるんだよな。本作もそんな一本だった。まぁ、原作はあるけれど。 最近だと、「カメラを止めるな!」もジャケ買い?で見て良かった作品だった。 そういえば、「志乃」も「カメ止め」も新宿のミニシアター発の作品だな。一昔前は、ミニシアターといえば渋谷だったが、シネコンの台頭により、絶滅危惧種一歩手前になっているミニシアター文化をかろうじて支えているのは、今は新宿なんだなと実感する。 今回、新宿武蔵野館で見たが(リニューアル後、1番スクリーン以外で見たの初めてかも…)、ここって、上映中に人が立ち上がると、影がスクリーンに映し出されるクソ映画館としておなじみだが、場内が明るくなるま で、影が映ることはなかった。観客みんなが、本作の世界観に引き込まれていたんだなと実感する。 とりあえず、学園生活を送っていた時に、分類すれば、イケていない側のグループに属していた人間で、音楽好きな人間なら、この作品で泣かずにはいられないよなと思った。まぁ、号泣とまではいかなくても、ウルウルとかジーンくらいはできると思う。 それから、泣くといえば、志乃ちゃんが涙と鼻水をたらしながら泣くシーンがあるが、同じコミック原作映画でも、東宝や東映、松竹あたりの作品では、こういうの無理でしょって思った。 イケていない側といえば、本作にはそっち側に属する3人の主要キャラが出てくるが、このうち、仲良くなった志乃と加代の中に、菊池が入ってきて、関係が崩れるってのもリアルだよなと思った。確かに、自分も一応、仲良くしていたグループに別のメンバーが入ってきてから、そのグループとの距離を置いてというか、ほとんど、付き合わなくなったことあったもんな。 それから、志乃は吃音症だが、彼女を励まそうと教師が言う「努力が足りない」とか、親が勧めるセミナーとかが、何も励ましになっていないってのもリアルな描写だと思った。 あと、志乃を最初にいじめた(からかった)菊池が、きちんと名前を言えない志乃を外人扱い(この言い方自体が差別的とされるので、菊池は吃音症の人と外国人をダブルで差別したことになる)して、バカにするが、その菊池は、1学期の時こそ、クラスのアホなことを言うやかましい奴として、それなりのポジションに立つが、2学期になると、ウザがられて、イケていない側に転落する。しかも、過去にはいじめられていたこともあることが分かるってのもリアルな描写だと思った。結構、いじめられる側がいじめる側になったり(あるいは、その逆)って、よくあるもんな。いじめ報道ではいじめた奴や黙認した学校が悪いとしか伝えないが、実際は、そうなんだよね。そして、例え、同じイケていない側の奴であっても、自分をいじめたりからかったりした奴を許せないってのもリアルな描写で、志乃が菊池の仲間入りを許せないのは、そういうことなんだろうなと思う。 一度、友情が崩れたり、一度、いじめられたりしたら、そう簡単には絆は修復しないってのを描いているのは、他のコミック原作映画じゃ、ほとんど見られない描写で、非常にリアルだと感心した。 あと、2010年代の話じゃないから、この物語が成立したってのはあるのかもしれない。 音楽は70年代のフォーク系、80年代のブルーハーツ、90年代のミッシェル・ガン・エレファント、洋楽ではロッキング・オンに毒された人たちが好きなオアシス、ダイナソーJr.、ニルヴァーナ、フレーミング・リップスなんてあてりが出てくるので、一瞬、いつの時代の話だ?って思ったりもするが、公衆電話は出てくるが、スマホどころか携帯も出てこないから、90年代半ばあたりが舞台なのかなと思われる。 それが、この物語にはいいんだろうなと思う。携帯やスマホの時代だったら、吃音でも、メールやLINEでコミュニケーションをとることができるし、いじめも、メールやLINE、SNSなんかで陰湿になっているからね。 だから、この作品で泣けるのは、10代の時に携帯やメールがなかった世代かもしれないなと思った。 最後に一番言いたい本作の魅力は、何と言っても、志乃ちゃんが可愛いかな。

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