クレイジー・リッチ!
- 原田崇央
- 2018年9月29日
- 読了時間: 4分
「クレイジー・リッチ!」を見た。つまらなくはないが、よくある話でアクビが出た。ラストもご都合主義もいいところだし。
そういえば、「ハングオーバー」シリーズのキ◯ガイ・アジア人、ケン・チョンが出ているのは、「ハングオーバー」シリーズと同じワーナー映画だからか?主人公の友人役のオークワフィナもワーナー映画の「オーシャンズ8」に出ていたな。 まぁ、気の抜けた「ハングオーバー」って感じだよな、この作品。
ただ、アジア人(日本人を含む)がいかに、面子や体裁ばかりを気にしているか、そして、自分が体験した嫌な事を次の世代にも経験させようとするのかってのは、よく描かれていた。
そして、主人公の彼氏の母親の嫌な感じもよく描かれていた。この役を演じたミシェル・ヨーって、取材したことあるが、本当、この役みたいに嫌な感じだったもんな。(女優としての仕事は認めていますよ)
あと、気になったのは、主人公たちが、アジアへ行くことを「東へ行く」って行っていたことかな。確かに欧米から見たらアジアは東洋だし、航路的には主人公の居住地ニューヨークから彼氏の母親のいるシンガポールへは東へ向かうのだろうし、アジア系アメリカ人や米国在住のアジア人にとっては、そういう感覚になってしまうのかもしれない。
でも、アジア系アメリカ人、米国在住、シンガポール在住、台湾在住、香港在住、中国本土在住といろんなアジア人が出てくるが、基本、どれも中華圏の人だからな。 ということは、東アジア文化圏でしょ。ニューヨークからアジアへ行くことを東へ行く、つまり、アジアからニューヨークへ行くことを西へ行くって言っているわけだから違和感あるよな。
まぁ、そういう違和感は意図的に抱かせているのだとは思うが。主人公に対して友人が「バナナ」と呼ぶシーンがあったからね。見た目は黄色いアジア人でも、考え方は白人になっているんだろうね。アジア系アメリカ人や、在米のアジア人は。日本でも、帰国子女に違和感を抱くのは、まさに、そういうところだし。
ところで、原題は「クレイジー・リッチ・アジアンズ(エイジアンズ読みの方がいいか…)」なのに、邦題からアジアンズ(エイジアンズ)が抜けているのは何故?右翼みたいな連中が「アジア人をクレイジー(キ◯ガイ)と言うとは何事だ!」みたいなクレームを付けてくるのを恐れたのかな?
本作の数少ない見所といえば、マドンナの「マテリアル・ガール」などの洋楽ヒット曲が中国語カバー・バージョンで流れることだが(何故か、エルヴィスの「好きにならずにいられない」は英語詞のままだった)、一番、良い使われ方をしていたのは、コールドプレイがオリジナルの「イエロー」かな。まず、間違いなく黄色人種とイエローをかけて使っているのだろうが。
そういえば、本作は「ジョイ・ラック・クラブ」以来25年ぶりの主要キャストがアジア人によるハリウッド映画ってうたっているが、その数え方はおかしくないか。
ジャッキーは、最近は中国で撮ってばかりいるが、この20年間、合作を含めた多くのアメリカ映画に出演してきたし、一時期はジェット・リーやチョウ・ユンファとかもハリウッド映画に出ていた。 確かに、彼らの出演した作品は、欧米人と組む作品も多かったから、その基準から外すというのは何となく分からないでもない。
じゃ、ケン・ワタナベが出ている作品はどうなんだ?「ラストサムライ」は、トム・クルーズ主演だし、「シャンハイ」もジョン・キューザック主演だから外すとしても、「SAYURI」はメイン・キャストはアジア勢で固めているし、「硫黄島からの手紙」なんて、米兵除けば、日本人キャストばかりだぞ。
それから、「推手」「ウェディング・バンケット」「恋人たちの食卓」といった初期のアン・リー監督作品なんて、アジア人が主役だったし、アカデミー監督賞を受賞した代表作の「グリーン・デスティニー」なんかは、欧米人キャラすら出てこないぞ。一応、これらの作品は台湾映画ってことになっているが、アメリカ資本の作品だし、「グリーン・デスティニー」なんて、ソニー・ピクチャーズというハリウッド・メジャー・スタジオの作品だからな。それから、2度目のアカデミー監督賞を受賞した「ライフ・オブ・パイ」なんかは完全にアメリカ映画として発表されているが、インド人キャストの作品だし。
インド人キャストといえば、監督はイギリス人だが、「スラムドッグ・ミリオネア」なんて作品もあったぞ。
一体、25年ぶりというのは、どういう基準なんだ?
メインキャスト全てがアジア人、監督もアジア人、舞台もアジア、映画の主たる国籍は米国とか、そこまで厳しくしているとか?そんなことなのか?

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