ムンク展 ー共鳴する魂の叫び
- 原田崇央
- 2018年11月22日
- 読了時間: 4分
今日を逃したら、このまま、年末年始に突入し、気づいたら会期終了になりそうだったので、上野の美術館でやっている展覧会をハシゴした。
ちなみに、チケット代は通常の7割増しで、しかも、日時指定制なのに、アホなほど行列ができているアレはパスした。
それでも、アレとの相乗効果なのか、上野の美術館はどこも混んでいた。
そして、この混み具合で思った。ここ最近、上野の各美術館が何かおかしいと。
その理由は、個人的には嫌いな美術館のナンバー1とナンバー2である森アーツと国立新美術館化しているような気がすること。
国立新と森って美術館というよりかは、単なるイベント・スペースだと思うし、展示内容も明らかに、アート好き・カルチャー好きというよりかは、リア充・パリピ向けだし、古い考えかもしれないが、好きになれないんだよね。
10代から20代前半までは社会科見学みたいなので行くか、夏休みとかにやっている映画系とか恐竜系の展示でもない限り、敷居が高く感じていたが、そういう威厳がなくなっているんだよな…。
異変を感じた理由としては、客側の変化と、美術館の変化、両方ある。
客サイドとしては、明らかに展示スペースでの私語が増えた。あと、作品を指差す失礼な輩も増えた。それから、子連れが増えた。しかも、幼児・児童。
そして、もっとも客層が変わったなと実感するのは列に対する意識の変化かな。
美術展ってのは、順路が示され、展示作品ナンバーがふらているけれど、それって、単なる整理上のもので、超貴重な展示品を除けば、どこから見てもいいし、よく見たい作品は10分でも20分でも眺めててもいいというのが暗黙のルールである。逆に単なる展示作品を水増すために展示されているだけのような資料みたいなのは素通りでもいいし。
そういう暗黙のルール的なものがあるにもかかわらず、スタッフが入口近くの展示ブロックで「どこからご覧になっても構いません」とずっと連呼しているし、前の人が作品を見終わるまで動かない人が多い。足を踏んだり、ぶつかったりした場合は別だけれど、そうでなければ、空いているスペースにどんどん入って、自分のペースで鑑賞するのが美術展なはずなのに、まるで、割り込まれたような目つきで人を見るのがいるからな。
美術館サイドの変化としては、アニメキャラとかのコラボグッズが増えたり、音声ガイドに声優や俳優を使用したりというのが増えたし、整列入場とかも増えた。あと、そういう、整列の際に2列で並べと促すケースも増えた。カップルなどグループで来る客を優遇しているって感じで、ふらりと一人で来るアート好きは、そんなに相手にしていないって感じ。美術館のシネコン化と言えるかもしれない。
ちなみに、今回は「ムンク展」(@東京都美術館)と「ルーベンス展」(@国立西洋美術館)を見た。どちらの会場でも、そういう変化を感じることができたが、特に顕著だったのは、ムンクの方かな。
目玉の「叫び」を含む3点は、列に並ばないと最前では見られないというシステムにしているが、一歩でも止まると、スタッフから「止まらないでください」と怒られてしまう。つまり、1作品を凝視できる時間は1秒もない。ゆっくり見たい人は、列の後ろにあるパーテーションより後方で見ろと促されるが、何しろ、最前での鑑賞者は立ち止まることはできないので、パーテーションより後方での鑑賞では常に、最前鑑賞者の頭に作品を遮られた状態になってしまう。言ってみれば、映画館で自分の前の座席に座高の高いアフロの観客に居座られたために、上映中、ずっと、マスキングされた状態で映画を見るはめになったようなものである。こんな見せ方して何とも思わないなんだから、美術館としての意識も薄まっているんだろうなと思う。
そういえば、ずっと、スタッフが「立ち止まるな」と連呼していてうるさかったが、それに対して、別の客が「ずっと言っていてうるさい」と言っていたのがおかしかった。美術館内で大声出しているあんたも迷惑なんですが…。

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