ブラック・クランズマン
- 原田崇央
- 2019年3月28日
- 読了時間: 3分
アカデミー作品賞にノミネートされた「ブラック・クランズマン」を見た。 本作が作品賞を受賞できなかったことで、スパイク・リーがブーブー文句を言っていたから、てっきり、黒人の主張が100%正しいみたいなタイプの映画かと思っていたが、実際に見てみたら、結構、バランスが取れていた。
差別されるのは黒人だけではなく、差別される者同士がコンビを組むというのは作品賞を受賞した「グリーンブック」と同じ構図だった。あちらでは、黒人とイタリア系だったが、本作では黒人とユダヤ人。
それに、人種を問わない女性蔑視も描かれているし、黒人の主張に100%同調しない人間を排除する傾向にも疑問を投げつけている。
結局、スパイク・リーは政治的なスタンスは違うかもしれないが、蟹江西と一緒なんだろうな。自分や自分のお気に入りが受賞できないから拗ねているだけという…。
ただ、全体としては明らかに反トランプの作品であることは間違いないとは思った。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の1955年の世界で、レーガンが大統領になるなんてありえないとジョークにされていたように、本作では、憎悪をうむような言動をする人物が大統領に選ばれるわけないとか言われていたし。終盤にはトランプ大統領本人のニュース映像も出てくるし。
ところで、白人史上主義者の抗議活動のニュース映像で目隠しされている人といない人がいるが、その選別の基準は何?
それにしても、スパイク・リー監督作品が日本できちんと公開されるの久しぶりだよな。とはいえ、本作はユニバーサル映画のロゴがついた作品なのに、日本ではパルコ配給になったってことは、賞レースを賑わす作品&米国での興行成績が健闘した作品にならなければ、日本未公開に終わった可能性もあったってことなのかな?
そして、エンド・クレジットにはプリンスの昨年リリースの未発表音源アルバムに入っている楽曲が流れるが、よく考えたら、スパイク・リーと殿下といえば、「ガール6」があったな…。
ところで、グリフィスの「國民の創生」は人種差別的な映画と呼ばれて久しく、本作でもKKKの活動を増長させるきっかけになったと非難されているが、もしかすると、米国では「國民の創生」とかグリフィスを映像や芸術の教育の場で教えることって、NGになってたりするのかな?もし、そうだとしたら、アホな教育だよなと思う。 今の基準で見れば、差別的かもしれないが、「國民の創生」という作品の演出の素晴らしさ、D.W.グリフィスという監督が映画史に残した功績は計り知れないというのは変わりないのに、それをなかったことにするのはどうかと思うな。 日本の国語の教科書に載っている作品の作者なんて、人種差別的な言動の人や偏った思想の人が多いのに…。作品として優れていたり、そのスタイルがその当時にしろ、後世にしろ、影響を残したりしたのであれば、載せるべきだと思うしね。
そして、気になったことが一点。 この「國民の創生」が上映されるシーンのピアノ演奏のクレジットが、ブルース・ホーンズビーとあったが、「ザ・ウェイ・イット・イズ」や「マンドリン・レイン」の彼か?

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