アリー/ スター誕生:アンコール・バージョン
- 原田崇央
- 2019年4月10日
- 読了時間: 3分
こんな変なつなぎだったっけと編集に違和感を抱いたところや、多少、間延びした感じに思ったところはあったが、追加シーンとされる箇所も後から検索などをして、そういえばそうだなとか感じる程度で、2時間半近い上映時間の長さも感じなかった。鑑賞中は、このシーン、こんな感じだったっけ?とか、こんな場面あったっけ?とか思う程度で、追加シーンはそんなにオマケ映像感はなく、自然にとけこんでいたと思う。
完全版とかロング・バージョン、ディレクターズ・カットなどと呼ばれる類のものは、大抵、初公開版より劣るものが多いけれど、これはよくできているのでは。
そもそも、初公開版ってのは、時間や予算、配給や興行会社からの要望、契約など様々な制約がある中、何とか作りあげたものだから、良いに決まっているんだよね。監督やプロデューサー、主演俳優など一部の人間のこだわりで一旦世に出たものを改作したって、そんなのは所詮、エゴとかマスター◯ーションの類でしかないんだよね。
一部の人間がこだわったバージョンより、圧倒的多数が妥協したバージョンの方がいいってのは映画に限ったことではなく、普通の仕事とかでもそうだと思う。絵画とか小説みたいな個人作業はともかく、映画は総合芸術とも呼ばれる様々なジャンルの芸術・娯楽を融合させたものだから、そうなるのかな。
完全版の類で基本、歓迎できるのは、検閲とか興行的な事情でカットされた場面を戻したり、戦争・災害・火災などの理由で紛失したとされていた場面が復刻したり、あるいは単にリマスター的なものだけで、追加とか再編集なんてのはダメというのは、そういう映画の総合芸術・共同作業的な面が大きいのかなと思う。
それにしても、改めて思ったが、この映画って、男のダメな部分がよく描かれているよな…。
ジャックがアリーと出会った最初の夜に、アリーの容姿を褒めまくるのなんて、男が自分についたキャバ嬢とか風俗嬢が好みだったときに、口説きたくて言う台詞そのものだし。
自分が見つけた才能のはずなのに、人気や実力が自分を上回ると嫉妬するところなんかもそうだし。
それから、女性は自分が成功するためには変化を恐れないけれど、男は変化をためらうってのもそう。
それにしても、ガガ様って、ドラァグ・クイーン・バーで歌っていても違和感ないよな。ああいう感じのドラァグ・クイーンとか、元男性とかいそうだし…。
そういえば、ガガ様の代表曲「ボーン・ディス・ウェイ」が邦画主題歌に決定したが、結局、日本人の彼女の音楽に対する興味や知識って、あの辺で止まっているんだろうなというのがよくわかる。
「アリー」は映画もサントラも日本では期待したほどのヒットにならなかったしね。
というか、日本で洋楽好き以外の一般層にも浸透した洋楽アーティストって、アルバム3枚分くらいは普段、邦楽しか聞かないような人にも受け入れられるけれど、その後、一気に人気が下降するよね。
アリアナだって、5枚目のアルバムが出てまもない今が世界的に見ればピークだけれど、日本では洋楽好き以外には、浸透していないしね。明らかに洋楽好き以外にも人気があったと言えるのは3枚目までだし。
そのくせ、邦楽アーティストは10年、20年どころか、30年、40年選手もチャート上位に入るんだからな…。結局、日本人にとって、海外文化はいっときの流行りでしかなく、代替となる国産品が日本で出回れば用済みってことなんだろうな。野球やサッカーの外国人選手と一緒。

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