イツァーク〜 天才バイオリニストの歩み〜
- 原田崇央
- 2019年7月5日
- 読了時間: 2分
Eテレで放送されたイツァーク・パールマンのドキュメンタリーを見た。 やはり、シンドラーのリストのテーマは何度聞いても感動する。 そして、パールマンが演奏する「私を野球に連れてって」や、ビリー・ジョエルと共演の「ハートにファイア」、さらに、少年時代の天才的な演奏が聞ける(見られる)のも、音楽マニアとしてはたまらなかった。
でも、このドキュメンタリーが、グラミー賞にノミネートされたのって、ユダヤ人差別問題を扱っているからだよねって思った。イスラエルが今やっていることは明らかな虐殺行為なのに、いつまで、被害者ぶっているんだよ!ふざけんな!と正直思う。
まぁ、パールマンがハイル・ヒトラーと書かれたバイオリンを見て、明らかに不機嫌になる場面は面白かったけれどね。
トランプのおっさんが当選してからは、米国の賞レースはおっさんが興味ない黒人や同性愛、女性の問題を扱った作品ばかりが評価されるようになったけれど、それまではユダヤものが評価されやすかったからね…。今でもかつてほどではないものの優遇されているし、現にこの作品もそういう評価されているからね。
それにしても、Eテレでの放送の仕方は意味不明だったな。多分、日本の放送枠用にカットしているところはあると思うが、それは、とりあえず置いておいて、パールマンのONが字幕スーパーだったり、ボイスオーバーだったりして統一されていないのはおかしいでしょ。 取材現場でパールマンが発言したものは現場ノイズとしてスーパー、個別インタビューはボイスオーバーという分け方するとか、本作にナレーションはなかったけれども、ナレはボイスオーバー、コメントはスーパーとかいう分け方なら分かるけれどさ、スーパーにする箇所とボイスオーバーにする箇所の基準がない。ただ、単にナレーターを予算的に使わなきゃいけないから、無理してボイスオーバー入れたみたいな感じにしか思えない。
個人的には、アホなワイドショーじゃないんだから、音楽家や関係者のコメントは現場の発言だろうと、インタビューだろうと、スーパー処理で見せるのがファンへの配慮だと思うけれどね。

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